4/遊びをせんとや

*和紙ちぎり絵との出会い&その後クリスチャンになる迄を綴っています

私は就職してからもしばらく叔母の家に下宿させてもらい、二人の従兄妹の勉強のサポートは続けていました。仕事から帰って一緒に食事をし、宿題や自主学習が終わった後が自分の時間でした。

前の投稿で書きましたように、ちぎり絵を始めたのはある意味「渋々」です。4月に入社し、半年後の11月にはどうしても画廊の壁の持ち分を何かで埋めなければなりません。何だかよくわからないけど。仕事でもないのに。今の時代ならパワハラ案件かもしれませんね。

しかし、意外だったのは、ちぎった和紙の質感が私には新鮮で衝撃だったことです。和紙は日本に自生する草木が原材料ですが、和紙をちぎる瞬間に立ち現れる繊維質は、私が育った田舎の原風景、野山の草木そのもののように思えました。

その頃の私は、心がひどくからっぽだったのでしょう。最初は仕方なく和紙に触れているうちに、この妙なケバケバで楽しく遊んでやる、作りたいものを好きなように作るんだ!と強く思いはじめました。和紙の美しさに本当に魅了されてしまったのです。

つたなくてお恥ずかしいですが、これがその頃の作品です。赤い屋根の建物がちょっと教会っぽいですが、なぜそうしたのか今はもう全く思い出せません。深い理由はなく、教会建築はデザイン的にすてき~くらいのことだったと思います。(笑)

丘の部分は緑の和紙にわざと皺を寄せて貼り、そこにアクリル絵の具を乗せています。この時はまだ濃淡のある「むら染め和紙」の存在を知らず、単色染めが物足りなくてそうしたのですが、いわゆる「お教室」でこれをやったら、「いけません。それは反則です」と先生に叱られたことでしょう。

特に何を作りたいということもなく、落書のような下絵にただただ和紙を貼ってゆきました。そのようにして半年後に、習作をそのまんま展示!という無謀な事をやったのですが、それを会社の同僚や上司、周囲の友人たちがとても面白がって応援してくれました。そして「二人展」は、先輩が結婚して地元を離れるまで3年続きました。

デザインの現場にいたので、マーメイドやレザックなど身近にあるさまざまな洋紙や各種画材、デザイン用品も躊躇なく使いました。和紙っていいなあ~と思えば思うほど、和紙だけに固執する制作をしたくないと思いました。

その後は特に教室に通ったり、誰かに師事したという事も無くて、ずっと自己流のまま現在に至っています。
(続く)

 

 

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