*和紙ちぎり絵を始め、その後クリスチャンになるまでを綴りました(最終回)。
私は、一市民として責められることなく法律を守り、どちらかと言えば真面目に、普通に生きているつもりでした。でも誰にも見せない心の内面は、目も当てられないボロボロの破産状態を生きているのかもしれない。神が全知全能なら、もうとっくにそれをお見通しなのか・・・?
私は、聖書をキリスト教の教科書や参考書のようにではなく、私の人生に何か言おうとしている手紙のように読むようになりました。そうしてみると、ここがまったくもって驚いた点ですが、神は自分が罪人だと自覚した人間を、ただ断罪して地獄に落とすような非情な方ではなかった!という事がみるみるわかってきました。あの十字架の、痛ましい、でも所詮アカの他人だと思っていたイエス・キリストの死が何だったのかも。
映画の上映会で奇妙な人に出会ってから約一年後、私はクリスチャンとして生きる決心をし、その年のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。
その時の心の大転換を、私はできる限り詳しく、具体的に、小さな本(*下記参照)に書き記しました。人がキリスト教信仰を持つに至る経緯はさまざまで、百人百様の物語があります。ですから私の告白にいったいどれほどの意味があるかわかりません。でも、教会に通い始めたころの私が一番知りたかったのは、「クリスチャンって、いったい何がどうしてどうなって神さまを信じるようになったの?」というブラックボックスの中身でした。。
キリスト教を信じれば、人生の困難が解消するわけではありません。困難は予期せずしばしば訪れますし、そんな時は昔も今も、私は簡単にオロオロします。けれども、神様に心を向けて祈っていると、心にあたたかいものが流れ込んできます。そして「このできごとは神様の手の中の一つのプロセスだ。私は今すべきことに集中して、これからの展開を信じて待っていてよいのだ」という不思議な落ち着きと安心感が徐々に満ちてきます。
それは、困難の先が見えない不安から来る、自滅的な消耗から私を救い出し、お金があれば、健康ならば、誰かと比べて少しはマシなら等々の、あまりに脆い幸福感(つまりそれらを失う恐怖感)から、私を静かに解放してくれます。私は、人生で一番欲しかったものを、聖書を通していただくことができたと感謝しています。
疲れた時、悩んだ時、辛くてどうしていいかわからなくなった時。人は人を救うことはできませんが、聖書の言葉は困難を乗り越えるヒントを豊かに与えてくれます。
この記事を読んで下さっているあなたは、今どんな人生を歩まれているのでしょう。神様って本当にいるの?その疑問を抱えたままでいいのです。このコロナが落ち着いたら、あなたもどうか一度キリスト教会に足を運んでみていただけるといいなあ、と思います。(終わり)
*いのちのことば社オンデマンド版
「アメイジング・グレイス~クリスチャンになるまでの200日」
2023年8月12日(土)の昼頃、教文館の三階で作品を拝見して感心していたところに、ご本人にもお会いすることができて光栄でした。
『アメイジング・グレイス』を購入して、ちぎり絵と文章を味わいました。
教文館でお会いした時は自分のことは何も言いませんでしたが、実は私はカトリックの神父で、カトリック学校に勤務しています。おなじクリスチャンとして、本に書かれている内容に共感することが出来ました。ありがとうございました。
田沢 幸夫様
こんにちは。
教文館ギャラリーに12日土曜日にお越し下さったのですね。厳しい暑さの中でのご来場を本当にありがとうございました。
私は会場でお話させていただいたのでしょうか・・・慣れない場で緊張しつつ居りましたが、ご無礼はなかったでしょうか?
拙著もご購入されお読みくださったとのこと。カトリック学校のご教職にある方からそのように言っていただき光栄ですし、とても励まされました。
私は群馬県の田舎でキリスト教とは無縁の環境で育ち、現代の平均的日本人らしく?「社会人になったら宗教とは一定の距離を保つのが賢明、深入りは禁物」という価値観を持って生きていました。私の親や友人たち周囲も全部そうでした。ですからキリスト教信仰を頂いた時その人たちに向けて、私たちが抱きやすい疑問を共有するかたちで救い迄の経緯を伝える必要を痛感しました。それが「アメイジング・グレイス」で、もう30年以上前の小さな証しですが、今なお手に取って下さる方がおられることは有難く、神さまに感謝し聖名を崇めます。
田沢様、もしよろしければですが、いずれはその小さな本は本棚に収めず、まだイエス様に出会っておられない方にお貸しいただくか、差し上げるかしていただければもっとうれしいです。勝手なことを申してすみません。
当ブログは、私のライフワークの「教会で開くちぎり絵展」のご案内のために開設したもので更新も間遠く、田沢様のコメントの確認とお返事が遅くなりました事をお詫びします。またどこかでお会いできるよう励みます。この度は大変ありがとうございました。
田沢様の大切なお働きの上に、主の豊かなお恵みと祝福がありますように。
森住ゆき