2/二人の従兄妹たち

*和紙ちぎり絵との出会い&その後クリスチャンになる迄を綴っています

小学校の通知表には毎年「内向的」「積極性に欠ける」と書かれ続けました。級友の群れにうまく入ってゆけない私は、そのことで親も先生もがっかりさせているんだなと思いました。転機は五年生のころ急に身長が伸びたことかもしれません。秋の運動会の徒競走で突然一位になり、6年でリレーの選手になりました。

中学で県陸連の強化選手になり、大会や合宿に明け暮れました。勉強との両立は目まぐるしかったですが、いつも張り詰めて緊張した家庭の空気から堂々と逃れる理由ができ、自分の呼吸ができる場所を得て逆に集中できる感じでした。

それが成長するということなのでしょう。小学生の頃は、家制度に忍従し続ける母をひたすらかわいそうだとばかり思っていましたが、思春期になると母はもう同情の対象ではなくなりました。私は母のようにはならない、自立するには学歴だ!と思い詰め、高校時代は何とか自力で進学できないものかと模索しました。でも当時の家庭の事情と私の実力の無さがあいまって進学はできず、高校卒業の春に進路を突然失う状態になりました。

そんな私を、前橋市に住んでいた親戚の叔母が見かねて、叔母の子どもたち(私のいとこ)の住み込み家庭教師をすることを条件に、商業デザインを学ぶ道を開いてくれました。絵が嫌いでなければ(確かに嫌いではなかったですが)二年で手に職が付けられると。

まだ幼かったいとこ達は、先天性聴覚障害のために聾(ろう)学校に通っており、自営業で多忙な両親にかわって寝食を共にし、じっくり勉強を教える存在が必要だったのです。私は前橋市の叔母の家に住まわせてもらうことになり、昼はデザイン学校に通い、夜は子供達と向き合う生活が始まりました。

とは言え私はアート志望ではなく、心には暗い鬱屈と不満がくすぶっていました。けれども、幼い二人の子供達が、音のない世界で言葉を探し、意味を知り、発語し、正しい日本語にすることに果てしない苦闘を重ねる姿に触れ、自分の根本的な愚かさに気づきました。いとこたちの宿題や予復習を見ながら、泣き笑いしつつ言葉の世界を一語、また一語と広げてゆく日々の中で、私は彼らに助けられたも同然です。

その二人のいとこ(兄と妹)は、私が社会人となって数年目に叔母の家を出た後、ろうあ者の方々が集うキリスト教会に通うようになり次々と信仰を持ちました。でも、その時の私はハンディキャップを持つ彼らには信仰の助けが必要なのだ。二人が安心できる場があって良かった、としか思いませんでした。(続く)

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