クリスチャンになるまでのこと

私は群馬県の山間部で、小農家の長女として生まれました。先の東京五輪は小学一年の時ですから育ったのは高度成長時代のはずですが、わずかな稲作と養蚕を営むわが家はたいへん厳しい暮らしぶりでした。
親の、精一杯の愛情を受けて育った。それは間違いないと思います。ですが、気性が激しく怒りっぽい父と、黙々とその父や姑に耐えて仕える母を朝に夕に目撃する家庭の日常は、しばしば辛い場所でした。
唯一の楽しみは非日常に沈潜できる読書で、少女期はディケンズ、トルストイ、ヘッセ、ユゴーなどの外国文学を読むのが好きでした。それらの本を通して私は聖書や神様の存在をおぼろに知りました。でも、それは自分の生活からはほど遠い「外国のお話」でした。

住み込みの家庭教師となって
母のようにはなりたくない、の一心で勉強は結構頑張りましたが、実力不足と家庭の事情があいまって進学はかなわず、高校卒業後の進路に困っていた時、前橋市に住む親戚の叔母が二人のいとこの「住み込み家庭教師」を条件に、デザイン学校への道を開いてくれました。
まだ幼かったいとこたちは、先天性聴覚障害のために聾学校に通っており、自営業で多忙な両親に代わって寝食を共にし、じっくり勉強を教える存在が必要だったのです。昼はデザイン学校に通い、夜は子どもたちと向き合う生活が始まりました。とはいえ、私はもともとアート系志望ではなく、デザインはあくまで就職のためだったので、心には暗い鬱屈と不満がくすぶっていました。けれども、幼い二人が、音のない世界でことばを探し、意味を知り、発語し、正しい日本語にすることに果てしない苦闘を重ねる姿に触れ、自分の愚かさがよくわかりました。三人で泣き笑いしつつ、一語、また一語とことばの世界を広げてゆく日々の中で、私は彼らに助けられたも同然です。
その二人のいとこ(兄と妹)は、私が社会人となって数年目に叔母の家を出た後、ろうあ者の集うキリスト教会に通うようになり、次々と信仰をもちました。でも、その時の私は、「ハンディキャップをもつ彼らには信仰の助けが必要なのだ。二人が安心できる場があってよかった」としか思いませんでした。

ちぎり絵との出会い
私は前橋市に本社を置く企業の広報部に就職しました。上司は入社早々、「会社だけの人間になるな。何かおもしろいことをやれ」と言う一風変わった人で、先輩デザイナーと「二人展」を開くよう、市内のギャラリーの開催日時まで一方的に設定されました。何の切り札もなく困った私は、当時たまたま目にした和紙ちぎり絵を選びました。周囲にする人がなく、何より簡単そうだったからです。苦し紛れで作った習作数点を、いきなり画廊に展示するという無謀さでしたが、周囲の方々がそれを大変おもしろがって応援してくださり、私自身も和紙の繊細な美しさに魅了されてしまい、制作方法は自己流のまま現在に至っています。

神を信じるって?
仕事の傍らで楽しみにしていたのが、映画鑑賞です。いわゆる単館系映画(大手配給会社の興行に属さない独立的な作品)を自主上映する会で、ある男性と話すようになりました。
そこで見た欧米や中東の映画には、神なしには語れないようなものが多々あり、私が世間話のつもりで、「映画に神様が出てくると、とたんにわからなくなります」と言うと、その人は、「神様を知るにはきちんと学ぶ必要があります。神は、人間がある日ふっと理解できるようになるようなものではないので」と言いました。その「学ぶ」ということばに、私はとても強い抵抗を感じました。私は、神というのは、人それぞれ百人百様のもので結局は不可知な存在と考えていました。学ぶ? いやいや「お勉強」でわかるはずがないのではと。その人は、私が実質的に初めて出会ったキリスト者でした。以後、私は彼にたくさんの質問をしました。
「キリスト教の宣教師は、方々の国に行って『アナタノ神サマハ違イマスヨ』とか言って布教するのでしょう。それって独善といえませんか?」等々。その彼の高校時代の友人、山口陽一牧師(現東京基督教大学教授)の紹介で、私は前橋キリスト教会(日本福音キリスト教会連合)に通ってみることにしました。

礼拝では、牧師が誰にでもわかる平易なことばで祈り、その祈りはただ自分の願い事だけではない、人間の生き方そのものに関わる深さをもっていることに驚きました。
とはいえ、人間はみな罪人で救われる必要がある、という説には違和感を覚えるばかりでした。そして、救いの核心とされるイエス・キリストの死後の復活を、教会の方々が「歴史的事実」として堂々と信じていることに絶句しました。

聖書は、わからない部分はわからないままに読むほかない書物でした。それでも日曜礼拝の前に開かれている三十分ほどの「聖書入門クラス」に通ううちに、私がひそかに抱えていた現実の問題に、聖書のある個所が迫ってくる時がきました。それは、「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています」という、新約聖書ローマ人への手紙のことばでした。

その頃の私は、結婚願望がありながらその決断ができず、恋愛の現場からいつも逃げ出して相手を残酷に傷つけることを繰り返していたのです。私はそれを、少女期からすり込まれた「結婚とは恐ろしいもの」という絶望感のせいだと思っていましたが、結局のところ、それはあくまで自分が快適であることへの激しい執着、何ひとつ譲ろうとしない冷たいエゴイズムだった、ほかのどんなもっともらしい理由もすべて後付けだ、と気づき始めたのです。私は、注意深くしていれば、そこそこ善い人として一生を終われるかもしれない。それがお利口さんに違いない。でも、もし心の中がすべて見えたら、私はとても外を歩けない人間だ。聖書が指摘する「罪」とはこれなのか、だとすれば私は一種の破産状態を生きているのかもしれない、と思いました。
私は聖書を、知的好奇心からではなく、神様からの個人的な手紙のように読むようになりました。そして約半年後にキリスト者として生きる決心をしました。その際の、行きつ戻りつした心の変遷は「アメイジング・グレイス」(いのちのことば社刊)という本に詳細に書かせていただきました。教会に誘ってくれた人とは、その後結婚しました。

キリスト者として生きる
キリスト教を信じれば、人生の困難が解消するわけではありません。困難は予期せずしばしば訪れますし、そんな時は昔も今も、私は簡単にオロオロします。けれども、神様に心を向けて祈っていると、心に温かいものが流れ込んできます。

そして「この出来事は神様の手の中の一つのプロセスだ。私は今すべきことに集中して、これからの展開を信じて待っていてよいのだ」という不思議な落ち着きと安心感が徐々に満ちてきます。
それは、困難の先が見えない不安からくる、自滅的な消耗から私を救い出し、お金があれば、健康ならば、誰かと比べて少しはマシなら等々の、あまりにもろい幸福感(つまりそれらを失う恐怖感)から、私を静かに解放してくれます。私は、人生で一番欲しかったものを、聖書を通して頂くことができたと感謝しています。

EHC家庭文書伝道協会発行/いのちのことば社刊
森住ゆき著「神を信じるって、どういうこと?」から転載