Japanese Christian

北山杉の美しさを知ったのは、日本画家の東山魁夷画伯の作品集でした。若い頃、京都駅からバスに乗って、実際の北山街道の美林を目にした時の感動は、森閑とした山中でバスを降りたのが自分一人だった事にオタオタした記憶とあいまって今なお鮮明です(笑)。

幼苗の頃から入念に手入れされ、ひたすら垂直に屹立する杉の群生を見ていると、整然とした美しさの中に、何とも言えないある種の淋しさのようなものを感じました。ブナ林のようにおしゃべりな枝葉が呼び合うようでも、カラ松林のように空を広く抱くでもない。限りなく美しく、でもどこか切ない眺めだと。

その後何年かして、私はクリスチャンになりました。日本社会のクリスチャンは、もう圧倒的に少数派で、職場でも、地域でも、遊び仲間のうちでも、家族の中においても、その価値観と生き方において時にとても孤独な存在だと思います。少々おおげさかもしれませんが、この作品はそんな日本のキリスト者に心からのエールを込めて制作しました。私たちは、神さまが置いて下さっているそれぞれの場所で、心から喜んで生きています。
「あなたは一人ではない。決してあなたを一人にはしない」と、絶えず語りかけて下さる声の主を知ったので。

ビル街の銀杏

(2019年月刊マナ11月号表紙・2021年工房カレンダー11月使用)

数年前の晩秋、山の手線の窓から東京駅周辺の無機質なビル群を見ていた時のことです。ふと、このビル街の隙間に一瞬でもいい、黄金の銀杏並木が見えたら閃光のようだろう。と、わりと真剣に目を凝らしましたが(笑)黄金は見つかりませんでした。なので、この絵はその時のマボロシです。ビル、銀杏並木、街路灯。よく見るとこんなサイズ比はちょっとありえないし、雲の映り込み方も実際は違うでしょうね。でも、和紙でガラス建材を現すのはちょっと楽しかったです。

一枚の和紙が仕事場の保存箱に長い間眠っていて、ある日突然、これをおいて他に無い!というくらいの出番を迎える。このビルのガラス面に使った青い和紙がそうでした。画面左側のビル、雲が映り込む反射面。これはむら染め和紙の一部分を、雲の反射にあわせた位置に貼り込み、ほんの少しだけ白い薄紙でハイライトを加えただけです。右のビルの淡い反射も、同じ和紙のムラ部分をほどよい位置に持ってきて貼りました。原画のサイズは20㎝四方ほどですから用いた部分の紙のサイズは、まあ、とても小さいです。

買ってみたものの、いつ、何に使うのやら。そういう和紙が引き出しにはゴチャッとあるのですが、これだから仕事部屋が片付かないったらありゃしないです。

茜空 帰り道

(2021年 月刊マナ11月号表紙絵)
和紙をダイナミックなグラデーションに染めたものを「茜染め」と呼ぶそうです。和紙店の陳列棚でこの紙に出会った時、紙面いっぱいに美しい夕焼け空がひろがっていて、この色合いを希求した職人さんの心が沁みるようでした。 この作品はその和紙の一部分をそのまま背景に用いています。

夕焼け雲は数種類の土佐典具帖紙を貼り重ね、シルエットには濃紺の和紙を使いましたが、そもそも背景の茜色があればこその作品です。どこの誰が染めて下さったのか知ることはできませんが、その職人さんに感謝で一杯です。

「茜染め和紙」は、夕焼け色に限らず、深い海を思わせる濃紺~淡青、口紅のような緋色~薄紅、暗闇の暗黒色~薄暮色など、さまざまなバリエーションがあります。でも、考えてみれば、それらはすべて刻々と変化する空の天幕の色でもありますね。

苔庭の雀たち

(2010年月刊マナ11月号表紙・2021年和紙ちぎり絵カレンダー)

いつ頃からか忘れましたが、苔好きです。京都では苔庭のある寺ばかり行きたくなるし、苔フェス状態の深い森(八ヶ岳北麓のような)を横断する時の気分は最高です。どちらもずいぶんご無沙汰なのが残念ですが、それでも、わが庭の隅で猛暑にやられていた苔が、何事もなかったように青々している今日この頃がうれしいです。苔はいざ育てようとするとデリケートで難しいですが、一方で意外としぶといことに感心します。

なぜだか苔に心が持っていかれることと、和紙のケバケバが好きな性分はどこかで繋がっているかもしれません。なので、苔の制作はなかなか楽しかったです。何しろ緑色の和紙は、もうちぎるそばから、ん?もう苔?ほれ苔!まさに苔‼という感じでしたから。

小鳥も好きでよくモチーフにします。聖書の中に「空の鳥を見よ」という言葉があります。明日の暮らし向きの心配を手放せ。そもそもいのちはすべて神の養いのうちにあることを思い出せ。見てみろ、あの空の鳥がそうじゃないか、と。人生の曲がり角で、私は幾度となくこの言葉に励まされてきました。

種まきも、刈り入れもせず、就業もしていていない(笑)鳥が、朝に夕にこぼれ落ちた草の実や羽虫をついばんで空に飛び立ってゆく。たとえその先が曇り空であっても、さらに上は間違いなく青い空です。

 

Take off 

(2021年月刊manna10月号表紙絵)

「Take off」(離陸)は、コロナ禍の渡航制限の真っ最中に制作しました。自身はキャリーにステッカーを貼ることはしませんが、航空会社や観光地の苦境に思いをはせつつ、さまざまな国や都市のステッカーをいっぱい貼りました。

お土産用ステッカーのデザインはすべて作り手の意匠、知的財産ですから、そのままの転写流用はいけませんね。集めた資料をもとに、オリジナルな意匠をいっこいっこ再構築してレイアウトしてゆくのがすごく大変でした。そんな細部に手間取って下絵に時間を取られ、ステッカーも細部を貼るのがまた難儀で、出版社への納品がぎりぎりに。

それでも締め切りに何とか間に合ってほっとしていたら、編集部から「森住さん、シールの一部にスペルミスがありましたっ!」との連絡が。きゃああ~やってしまった!さすが私、よくあるんですよ(汗)。

もちろん本来なら差し戻してもらって修正します。が、もうそんな時間はない。窮余の策、すんごく頼りになる某デザイン事務所のN氏が、超絶技巧のデジタル処理を施してくださり事なきを得ました。

ではみなさん、ここで問題です。それはどのステッカーでしょうか?
あ~あ(苦笑)。

ちぎり絵カレンダー余話

自主制作「和紙ちぎり絵カレンダー2022年版」10月より発売です。
詳しくは「森住ゆきちぎり絵工房」にてお知らせしています。
ささやかなクリスマスプレゼントに、御年賀にどうぞご活用下さい。

ここでは、そのカレンダー制作のきっかけについて少し書いてみます。それは2010年に「教会でちぎり絵展」というビジョンが与えられた事でした。ところが実際に算段してみると、いやいやこれが大変で。見返りを求めず、教会会計に大きな負担をかけず、私自身が自滅せずに活動を持続するにはどうしたもんか…とぐるぐる模索する中でたどり着いたのが、「活動資金のためカレンダーを自力で作る!」という冒険でした。昔グラフィックデザイナーだったので多少心得があったことと、デジタル技術の進歩で印刷費が辛うじて手の届く範囲になったことが追い風になりました。

はじめての制作は2016年、出身教会のJECA前橋教会が招いて下さったちぎり絵展の時でした。それは個展というより、あくまでキリスト教会の中を見てもらう手段としての催し(オープンチャーチ)ですから、もちろん入場料はいただきません。どなたでも、期間中何度でも教会に来て、ちぎり絵を自由にご覧下いただきたい。でも、もし、もし、よろしければ、作家を応援して下さればうれしいです…と、おっかなびっくりちぎり絵展の会場に置いたカレンダーでした。

始まってみると、教会の方だけでなく、その日教会に初めて来たという方々も喜んでお買い上げ下さる様子を目撃して本当に励まされました。そして、次の展示活動に踏み出せる資金が何とか与えられ、その後の都内での展示活動につながり、やがてキリスト教書店さんにも置いて頂けるようになりました。

今は、当初から私のちぎり絵制作を支えて下さっている所属教会はじめ、かつて教会ちぎり絵展を開いて下さった皆さんが、毎年クリスマスプレゼントなどに用いて下さっています。

昨年来コロナのため予定していた教会ちぎり絵展はすべて順延となっています。でも再び原画を生で見て頂けるその日のために、今は心を込めて制作を続けています。

10/いちばん欲しかったもの

*和紙ちぎり絵を始め、その後クリスチャンになるまでを綴りました(最終回)。

私は、一市民として責められることなく法律を守り、どちらかと言えば真面目に、普通に生きているつもりでした。でも誰にも見せない心の内面は、目も当てられないボロボロの破産状態を生きているのかもしれない。神が全知全能なら、もうとっくにそれをお見通しなのか・・・?

私は、聖書をキリスト教の教科書や参考書のようにではなく、私の人生に何か言おうとしている手紙のように読むようになりました。そうしてみると、ここがまったくもって驚いた点ですが、神は自分が罪人だと自覚した人間を、ただ断罪して地獄に落とすような非情な方ではなかった!という事がみるみるわかってきました。あの十字架の、痛ましい、でも所詮アカの他人だと思っていたイエス・キリストの死が何だったのかも。

映画の上映会で奇妙な人に出会ってから約一年後、私はクリスチャンとして生きる決心をし、その年のクリスマス礼拝で洗礼を受けました。

その時の心の大転換を、私はできる限り詳しく、具体的に、小さな本(*下記参照)に書き記しました。人がキリスト教信仰を持つに至る経緯はさまざまで、百人百様の物語があります。ですから私の告白にいったいどれほどの意味があるかわかりません。でも、教会に通い始めたころの私が一番知りたかったのは、「クリスチャンって、いったい何がどうしてどうなって神さまを信じるようになったの?」というブラックボックスの中身でした。。

キリスト教を信じれば、人生の困難が解消するわけではありません。困難は予期せずしばしば訪れますし、そんな時は昔も今も、私は簡単にオロオロします。けれども、神様に心を向けて祈っていると、心にあたたかいものが流れ込んできます。そして「このできごとは神様の手の中の一つのプロセスだ。私は今すべきことに集中して、これからの展開を信じて待っていてよいのだ」という不思議な落ち着きと安心感が徐々に満ちてきます。

それは、困難の先が見えない不安から来る、自滅的な消耗から私を救い出し、お金があれば、健康ならば、誰かと比べて少しはマシなら等々の、あまりに脆い幸福感(つまりそれらを失う恐怖感)から、私を静かに解放してくれます。私は、人生で一番欲しかったものを、聖書を通していただくことができたと感謝しています。

疲れた時、悩んだ時、辛くてどうしていいかわからなくなった時。人は人を救うことはできませんが、聖書の言葉は困難を乗り越えるヒントを豊かに与えてくれます。

この記事を読んで下さっているあなたは、今どんな人生を歩まれているのでしょう。神様って本当にいるの?その疑問を抱えたままでいいのです。このコロナが落ち着いたら、あなたもどうか一度キリスト教会に足を運んでみていただけるといいなあ、と思います。(終わり)

*いのちのことば社オンデマンド版
「アメイジング・グレイス~クリスチャンになるまでの200日」

9/その時が来て

*和紙ちぎり絵を始め、その後クリスチャンになるまでを綴っています。

聖書は、わからない部分はわからないままに読むほかない書物でした。日曜礼拝の前の入門クラスは誰が参加してもよく、高校生からご高齢の方までいろいろな方がいました。一度か二度で姿を消す方もいれば、「もう長年通って教会の方とは仲良しだけど、聖書がイマイチわからなくて私はクリスチャンじゃないのよ~」と笑っている方もいました。

私が教会に行きはじめたのは1987年、オウム真理教事件の少し前です。しかし当時もさまざまな宗教団体が、強い心理的圧力を加えて信者をマインドコントロールし、経済搾取を重ねて組織拡大をはかっている事は社会問題になっていました。

けれども私の行った、いや多くのまともな教会はそうだと思いますが「信仰に踏み出すことはあくまで個人の決断」という考えが浸透していて、新来会者はもちろん、たとえ両親がクリスチャンであっても、その教会の牧師の子どもであろうとも、キリスト教信仰は自動的帰属(世襲)ではなく、何年でも(場合によっては何十年でも)個人の決断を待つのらしいのです。だからこそ、入門クラスに長く通っているという人も安心して教会に通い続けているのでしょう。

むむむ、それは、人の心というものに対してとても誠実な態度と言える。あたりまえの事だけれども「組織」としては決して簡単な事じゃないだろう。そうか。だから日本のキリスト教人口って超少ないのか⁈ ・・・などと思ったりしました。

入門クラスでも、日曜の礼拝でも「すべての人間は罪人で、イエス・キリストはその罪を救済する神です」というメッセージの根本はいつも変わりませんでした。そう言われても「いやいや私には遠い昔のアカの他人ですから」と心で思う日々はその後もしばらく続きました。

しかし、ある日ついにと言いましょうか、聖書の言葉が、私自身の現実にぴったりと重なって迫ってくる瞬間が来ました。それはあまりに内面的すぎて説明が難しいのですが、聖書というのは人間の心の奥底にひっそりと沈殿している問題に、本人がそれとわかるように迫ってくる力がある、そういう書物だということは言えます。

その時私に迫ってきた言葉というのは、新約聖書「ローマ人への手紙」の中の「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。」という一句でした。これは私自身のことを言っている!そう読めたのです。

そう読めるのを、その場で即座に否定する心の自由も当然あります。ですが、私はそうしなかった。なぜかわかりませんが。

その頃の私は、結婚願望がありながらその決断ができず、恋愛の現場からいつも逃げ出して相手を残酷に傷つけることを繰り返していました。私はそれを、少女期から刷り込まれた「結婚とは恐ろしいもの」という絶望感のせいだと思っていました。でも、それは何より自分自身が快適であることへの激しい執着、他者と何かをわかちあうことを拒み、一歩も譲ろうとしない冷たいエゴイズムだったのではないか。他のどんなもっともらしい理由を挙げたとしても、それはすべて後付けだ、と気づき始めたのです。

私は、注意深くしていれば、そこそこ良い人として一生を終われるかもしれません。それがお利口さんというものです。でも、もし心の中がすべて見えたら、私はとても顔を上げて外を歩けない人間です。聖書が指摘する「罪」とはこれなのか。だとすれば私は一種の「破産状態」を生きているのかもしれないと思いました。
(続く)

8/聖書を読んでみたけど

*和紙ちぎり絵との出会い&その後クリスチャンになる迄を綴っています

教会に通い始めたのは二十代後半でした。社会に出て多少の経験則を得た私は、はた目には、幾分さばけて気丈夫な感じのヒトになったみたいです。でもそう簡単に人の資質は変わるものではありません。それは身を守る鎧(よろい)みたいなもので、私は今でも新しい環境や他者の輪の中に入ってゆくことは苦手科目です。ですから当時も、教会というわけのわからない組織(に思えた)に踏み込んでゆく緊張と警戒心はとても強かったです。

巧妙なトリックに自ら飛び込んでゆくような気がしないでもない。それを自覚しながら、それでもなぜ教会に通い続けたのか。その辺のところは、私は1992年にいのちのことば社が出して下さった「アメイジング・グレイス」という小さな本に詳しく書かせていただいています。

私は仏壇と神棚のある家に育ち、大人になってからは多くの日本人がそうであるように宗教には期待せず、深入りしないことが安全で賢明なことだと、ずっと思っていました。「神も宗教も特に信じていません」と言う時のちょっと誇らしいような気分・・・(笑)。それが自立的な生き方なんだと疑いませんでした。

ですから人生のある時点で「これから私はクリスチャンとして生きることにした」と周囲に表明した時、旧友の一人からはこう言われました。
「あなたは信仰なんてなくても生きてゆける人だと思っていたのに。いったいどうしちゃったの?しっかりしてよ!」
彼女は私のことを思い、心から気遣ってくれたのです。目をさませ!と言いたかったのかもしれません。ああ彼女はほんの少し前までの自分自身だと思いました。その彼女の「どうしちゃったの?」にできるかぎり誠実に答えたい、と思ったのがその本を書いたきっかけです。

というわけでその本には、キリスト教とはまったく無縁の、ごく平凡な日本人の私が、教会という異文化に足を踏み入れた時の、何とも言えず居心地の悪い、ザラザラした違和感をつぶさに書くことになりました。以下、その部分を数か所抜粋してご紹介してみますので、よろしければお読みになってみて下さい。
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「私は努力とか忍耐ということばが嫌いです。努力も忍耐も辛いからとても怖いのです。ですから聖書を読み始めた頃は、思わず苦笑し、やがてげっそりと元気を失う箇所がたくさんあって困りました。たとえば新約聖書コリント人への手紙第一の十三章です。「愛は寛容であり、愛は親切です。……自分の利益を求めず、怒らず……すべてを耐え忍びます」
・・・(中略)・・・そこに描かれた人の姿を素晴らしいと思う気持ちと、どう逆立ちしたって私にはこんな生き方はできないし、本当はしたくもない、という本音との深い断絶をはっきりと突きつけられるからです。」

 

「罪を悔い改めて救われなさい」と聖書はしきりにその点を強調します。私は、自分が申し分のない善良な人間だとも思いませんでしたが、かと言って神の前にひれ伏して赦しを乞わねばならない罪人だという話には、何だか妙な言いがかりをつけられているような気持ちになりました。」

「そこまで「罪」を追及されたら、私はどう生きてよいやらわかりません。聖書は「神は愛です」「愛は寛容です」と言いながら、「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」と言います。私は不服でした。神が愛と寛容であるなら、なぜすべてを受け入れてくれずに、「死後のさばき」などと言うのでしょう。」

「失敗もする。誰かにいやな思いもさせる。みっともなく泥だらけにもなる。だからこそ明日はもう少しましになりたいと人はみな精一杯生きているのに。キリスト教の神は狭量で非情ではありませんか。」

「私はそれまで、自分が不幸な人間だと思ったことはないですし、何かを信仰する切実さも感じませんでした。それにある宗教だけを至上とするのは「狭い」気がしました。」

「西洋美術の中でしばしば目にするイエス・キリストの姿はただただ痛ましく、私の人生には直接関係のない、その意味を知らなくても何も困らない遠い西洋のカルチャーでした。」

「やはり私にキリスト教はわからないな。私は面倒な気分になり、停滞しました。わからなくても私の人生に支障はないのです。」

「アメイジング・グレイスは」1992年の刊行から11刷を重ね、2011年に新版となり、現在はいのちのことば社オンデマンド版としてAmazonで購入いただけます。

次回はたぶん最終回です。

(続く)

7/教会に行ってみた

*和紙ちぎり絵との出会い&その後クリスチャンになる迄を綴っています

そんなわけで、私は当時の住まいから通える教会の日曜礼拝と、初心者のための聖書入門クラスというものに通ってみることにしました。

礼拝は、祈り、讃美歌、その日の聖書箇所の朗読と、牧師の「説教」で構成され、だいたい1時間半ほど。周囲の方々は信者さんなのでしょう、プログラムに従ってごく自然に讃美歌を歌ったり、目を閉じて祈ったりしていました。が、私は信じてもいないのにそうする気にもなれず、工場見学の小学生みたいにその景色をしげしげと見ていました。

ご存知の方もおられると思いますが、教会の日曜礼拝のプログラムには「献金」があります。スタイルは教会によって多少違うでしょうが、各人の席に献金を投入するちょっとした袋物が回って来る。袋が回ってくると紙幣を入れる人、硬貨を入れる人、黙礼してやり過ごす人、さまざまです。

礼拝の司会者はこう言いました。「献金は神さまに対する私たちの感謝を表わすものです。しかし、初めての方、献金に対してまだ十分な理解に至っていない方、ご用意のない方はどうぞご心配なさらず、献金袋が席にまわりましてもそのままやり過ごしてお待ちください。」
私は司会者のことばを額面通り受け取り、理解に至るまではしないと決めました。とは言え、しばらく教会に通い続ける場合、それはそれでヘンな根性?が必要だったのですが・・・(汗)

教会で聞く牧師の聖書の話は、少しはわかるような、やっぱり全然わからないような。ただ、私は説教にせよお祈りにせよ、教会で使われる言葉が「ごく普通の言葉」であることにはとても強い印象を持ちました。というのも、私はそれまでの乏しい経験ですが、宗教的な場面での言語は仏葬の読経や祭礼の祝詞などのように、難解で、非日常的で、一種異次元的なものと思い込んでいたからです。

ところがキリスト教会の礼拝では、牧師の説教もお祈りも、言葉は子供にもわかる平易なものなのです。またそのお祈りの内容というのが、人が幸福になるための願い求めだけではなく、人間の生き方そのものに関わる深さを持っていることに驚きました。

そのほかにも、信徒さんたちは牧師に敬意を払うけれども、別に神聖視することはなくフラットな関係であるらしい様子や、ある意味モノに過ぎない十字架の形やイエス像を崇めているのではないこと、教会では信仰を受け入れるか否かは個人の決断であるので何も強制はされないこと、などが徐々に見えてきたとき私はひとまず安心できました。

しかし、その一方で、礼拝の説教に必ず出て来る「人間はみな罪人で救われる必要がある」という話には、ざらざらした強い違和感を覚えるばかりでした。そして、もっと驚いたのが、教会の方々が、あの有名なマリアの処女懐胎や、イエスが十字架で死んで三日目に墓から蘇生して会衆の前に現れた事を、あくまで「歴史的事実」として堂々と信じていることでした。

前橋教会の信徒さんには地元国立大学の医学部生や、そこで教鞭を取っている(医学界では世界的な権威だという)教授もおられました。この現代文明の中で、ごく普通に社会生活を送っている人たちが、マジですか、なんでえええ~~~っ⁉ と絶句するしかありませんでした。